2020.12.30 07:04腹切り地蔵志方町山中地区の伝説四百五十年を経た今もなお、お参りが絶えないと云われる伝説のお地蔵様‥。三木城落城にまつわる、一武士の悲劇に心を寄せ続けてきた村人の慈悲心が現代においても連綿と引き継がれていることに驚きを禁じ得ない‥。
2020.11.07 03:12あまねく衆生の安寧を願い続ける 平野・胴切れ地蔵『無礼者!』供侍が激昂するや否や、横一文字に空を切った刃は、不覚にも参勤交代の行列を横切った一町人の胴を瞬時のうちに一刀両断にした。「無礼討ち」であった。しかし…、である。その若者は一時の後に目を覚まし、切れたはずの腹をまさぐってみたが、なんということか、傷痕ひとつないではないか!狐につままれた思いで、ふと近くのお地蔵さんを見てみると、驚いたことにお地蔵さんの胴体が真っ二つに切れていたのである。『お地蔵さんが身代りになってくれた!なんとありがたいことか。』と、その若者はお地蔵さんの慈愛に感涙するとともに一層信仰心を深めていった、とのことであった…。
2020.11.06 03:09加古川地蔵尊為 河川犠牲者追善供養 真紅のペチュニアに囲まれた地蔵尊を訪れた7月17日、“私がこのお地蔵さんの涎掛けを作っているんですよ”という女性に偶然にもお会いすることが出来た。米田町に住む彼女の話では、これまで700枚以上の涎掛けを作って市内のお地蔵さんにお参りし、交換しているのだ、という。ゆうに80歳を超えたこの女性は、さらに次のように続けた。“お蔭様でこれまでお金にも困らず、健康にも、また家族にも恵まれて、本当にありがたいと感謝しています。お地蔵さんのお蔭です。”ちなみに、この方のお名前は、お地蔵さんの涎掛けの裏側に記入されている。余徳をいただくため、一度涎掛けをめくってみては…?
2020.09.15 07:51篠原地蔵尊(北向き地蔵)地域に密着、霊験あらたかな篠原地蔵尊 後世に名と体を遺す歴史であったとしても、結局は人々が日々織りなす何気ない日常の営みの中で生まれるものであり、この史実も決してその例外ではない。今から306年前、宝永4年亥年(1707)にこの地に観音寺が建立された折に、ともに祀られたのが、この地蔵尊である。観音寺建立のいわれは、信仰心の厚い近隣住民によれば、およそ次の通りである。加古川はその清流ゆえに、人々に多大な潤いも与えたが、反面“暴れ川”の異名をもつほどに氾濫を繰り返し、人々を苦しめた川でもあった。