2020.07.23 06:18明治天皇と”樹悳堂” 陣屋、その栄光の歴史明治天皇御巡幸に際しては千古未曾有の御巡幸とて、沿道を清掃し、本道並びに横道通行を差し止め御通輦(れん)の際は二階または高所にあることを厳禁され、藩治時代にその風習があったこととて店先にゴザを敷き、合掌して拝伏するものもあり、縁故をたどって町家に来たものも極めて多かった。陛下より畏くも加古川鮎について御下問があったので、鮎十尾を奉献したところ御嘉納あらせられた…。~明治十八年八月九日陣屋は、その歴史において最も輝きに満ちた栄光の一日を迎えることとなった…。
2020.07.18 02:27決断なき原爆投下 ~米大統領71年目の真実~ 編者 まえがき“原爆投下は全く正当なものだ、と大半のアメリカ人が答えている。しかも、日本本土に侵攻していたら、失われたであろう非常に多くの、それも100万人の命が、原爆投下によって回避できた、ということ“。…70年に亘りこのような定説が“真実”となり、殆んど誰も異論を唱え者はいなかった。しかし、いま、その「真実」に隠された驚愕の実態が白日の下にさらされることとなった。
2020.07.07 12:42特攻中継基地『加古川飛行場』と兵士たちの安らぎの場となった旧中村旅館の物語 『さぞ淋しかったでせう。今こそ大聲で呼ばせていただきます。お母さん、お母さん、お母さん…と。』(特攻隊員の遺書より) 第5次航空総攻撃は、初めて加古川で編成された。この目的は敵艦船を徹底的に攻撃して沖縄上陸米軍の背路を遮断し、戦局を有利に展開することにあった。総攻撃の開始は、昭和20年4月28日と定められた。この日移動性高気圧は東シナ海にあり、九州は快晴、南西諸島一帯に晴れ、台湾東部には雨が残った…。4月28日、六航空軍の特攻攻撃は日没前後36機で敢行された。4月から始まった特攻作戦では、陸海軍併せて2200名に上る有為ある若者が、沖縄海域で華と散った。
2020.07.04 10:11加古川改修記念碑にみる加古川…その豊かな恵みと氾濫、改修の歴史1.河川・流域のあらまし 加古川は、その源流を兵庫県朝来郡山東町と丹波市青垣町の境界にある粟鹿山(標高962メートル)に発し、丹波市山南町において篠山川を合わせ、西脇市においては杉原川と野間川を、小野市において東条川、万願寺川を合わせ、さらに三木市において美囊川を合わせながら播州平野を南下し、加古川市尾上町、高砂市高砂町向島町で瀬戸内海播磨灘へと注ぐ流路96km、流域面積1,730k㎡の一級河川である。