光陰を超え、今に息づく五郎兵衛さんの心意気
思案松
『今から、二百六十年、七十年前のお話です…。
一人の商人風の男が、高砂の方からとぼとぼとやってきました。備後の福林寺の前まで来た時、とても疲れた様子で、そこにそびえている大きな松の根に腰を下ろしてしましました。
「さて、どうしたものだろう。いよいよ商売も思うようにならず、このままだと破たんの一途をたどるばかりだし、いっそ上方にでも行って、何とか新しい商売でも覚えて、家運を挽回せねばならん」と、しきりに思案を巡らしていました。夢中になっているうちに、地面に円形の輪を書いておりました。
そのうち、いつとはなしに眠気をもよおし、うとうとと眠りにおちいってしまいました。「五郎兵衛、五郎兵衛、わしはこの寺の阿弥陀如来だが、お前さんは上方に行くようなことは諦めて、高砂へかえりなされ。そうしてもう一遍生まれ変わった気持ちになって第一歩から立ち上がり、一生懸命に家業に励みなされ。きっと家運が開けるから。」という声に我に返った五郎兵衛さんは「はいはい、その通りにいたします。」と言って立ち上がり、ふと地面を見ると無意識の書いた輪が、きれいな三ツ輪の紋になっていました。』
『五郎兵衛さんは、この紋を深く頭の中に刻み込んで、もと来た道を、すたこらと高砂さして帰って行きました。それから数年たったある日、五郎兵衛さんは羽織袴に威儀を正して福林寺を訪れました。「阿弥陀様のおさとしで、一生懸命に商売に励んだおかげで、今では近在屈指の廻船問屋となることが出来ました。
つきましては、お礼の印に本堂の再建をさせていただきます。」と、お礼を
申しました。そうして建てたのが今の本堂で、内陣の荘厳具には、三ツ輪の紋どころを入れるのを忘れませんでした。
この松も、いまではすっかり枯れ果て、「思案松」というおおきな石の標柱だけが昔語りを伝えております』
「郷土のおはなしとうた」第2集より転載(発行:加古川市教育委員会)
これは単なる民話ではありません。
ご住職によると、この話は、単なる言い伝えや民話ではなく、事実に基づいたお話とのこと。五郎兵衛さんは実在の人で、姓は、『菅野』。
ご住職自身も、高砂の菅野家末裔のお宅に数度訪れたことがあるという。三ツ輪は、菅野家の家紋で、本堂には、三ツ輪の紋をあしらった縁者の方々の位牌が数体安置されているとともに、当該家紋が入った荘厳しょうごん具ぐ(仏像や仏堂を装飾する道具)も堂内に現存しており、これらについては、編者も見せて戴いた。
五郎兵衛さんは、当時の姫路城にも寄進したほどに財を成した人であるという。ただ、本堂を『再建』したのではなく、実際のところは、ご本人が大掛かりに修復した、と言われている。
なお、現在の本堂は、今のご住職が6年をかけて庫裏を含め、昭和63年に建て替えたとのご説明であった。
写真で見える松は、山門をくぐって、すぐに左側にあるが、これは、ここでいう『思案松』ではない。
実在した松は、戦後、朽ち果てたとのことであり、本堂に飾られたモノクロ写真でしか、雄壮な往時の『思案松』を偲ぶことが出来ない。
右の標柱は、この地に松があったことを示すものである。
福林寺縁起・ご本尊
(1)当山開山は、人皇八十七代後嵯峨天皇寛元年間
※①人皇とは…神武天皇以降の天皇をいう。
②寛元年間…1243~1246年の間をいう。
(2)明和九年四月十一日(1772年・江戸時代)「証入観鏡上人」
が開基したのが、現在の福林寺である。宗派は浄土宗・西山禅
林寺派。
(※証入とは…正しい知恵により真意を悟る、という意味)
以上、「加古川市寺院総監」(兵庫大学短期大学部発行)による。
(3)本尊…木造阿弥陀如来坐像
像高88㎝寄木造。白毫びゃくごうには水晶が入っており、目は切れ
長で、鼻はよく整い、知性的な美しさを持つ、優美な仏像である。
藤原様式であるが、製作年代は鎌倉時代である。
福林寺の五輪塔
貞治じょうじ二年(室町時代・1363年)に、四尺塔として建立。凝灰岩(竜山石)で塔高は、122.5㎝。碑文は、基礎石の一面に銘文があり、五行計二十九文字を陰刻している。(加古川市史第7巻より)
その大意は、概ね次の通りである。
『発願者は、その志を以て、すべての衆生が、等しく法界で供養のご利益を
享受することを願うものである。
貞治二年三月十八日卯年に納める。
一つの志に結ばれた衆(有志一同)謹んで申し上げる。』
単性六面石幢残欠(等身)
おそらく、1580年頃の造立と思われる。(蓮華座が退化形式になっていることによる。)特に注目は華け瓶びょうで、二茎蓮を刻出していることである。これは比較的少なく、価値の高いものである。
加古川市史第7巻より。
凝灰岩(竜山石)で残っているのは下半を欠失した塔身のみである。
左手に宝珠、右手に錫杖を持つ棒珠持錫像を第1面とすると、順次右手に数珠を持ち、左手で宝珠を捧げたもの、第1面と同じ、棒珠持錫像、左手に華瓶を持ち、右手で宝珠を捧げた像、前方で不整形な小判形を持つもの、最後は合掌像になっている…。
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