2020.10.19 08:18クラシカルな佇まいの中匂い立つ昭和レトロのかほり 篠原・准田(わいだ)邸JR加古川駅南玄関口より高架沿いの歩道を西へ約200m。そこに、ひときわ目を引く和洋折衷のクラシカルな建物がある…。淮田邸である。以前より、その由緒について気になっていたところ、つい先日、幸運にも、ご自宅前で家人とお話をお聞きする機会を得ることが出来た。
2020.09.23 06:10懐かしの活動写真館シリーズ【3】新興座と新興会館 昭和7年(1932)、倉谷清太郎氏の手に移り、改造を加えて「新興座」となり、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この館で上映された「青い山脈」や「君の名は」は超満員だったという。
2020.06.09 13:31賀古川宿 繁栄と終焉の歴史ヒストリア五百年余りに亘り春秋を織り成した宿駅 弘安2年(1322)3月12日、隠岐の島に流される後醍醐天皇が『賀古川宿』に泊まる。(常住寺または播磨守護所と思われる。)
2020.06.07 08:21加古川の古き良き江戸期から大正期のレトロな家々西国ロマンチック街道 賀古川宿現存する古き良き時代の面影を楽しみながら、ゆったりと散策してみませんか? 1,700年台の前半(寛永期)に、最も華やいだ宿場町があった。寺家村、加古川村(寺家町・本町)合わせて450軒もの町屋を誇った『賀古川宿』であるが、その最盛期から300年の光陰が流れた今、それを偲ぶ“よすが”(てがかり)はない。ただ、現存する江戸後期~昭和初期に建てられたといわれる古民家から、多少なりとも往時の雰囲気を想像することは可能である。これは、歴史ロマンを愛するあなたの為に私が取材、作成した資料…。本ガイド書を手に、街道散策するのも、また、乙なものかもしれませんね。《1》大村株式会社(溝の口)
2020.05.30 11:33昭和レトロが醸し出す過ぎし日へのノスタルジー『宝湯』コーヒー10銭、たばこ7銭、はがき1銭5厘…。ウォール街での株価暴落が契機となって世界大恐慌へと発展し、大量失業時代を迎えた昭和4年…。“大学は出たけれど…”そんな言葉の流行った暗い世相のさ中に、“宝湯”はこの町で産声を上げた。近くに住む志原氏が建築主(創業者)で、当時の屋号は“敷島湯”。以降いつの頃からか、岡田さん、という方が引き継ぐことになり屋号も“高砂湯”に…。現在の経営者である服部氏が“宝湯”(開業当時は「寶湯」)と改名し、開業したのは昭和32年のことである。最盛期(昭和44、45年頃)には全市で16軒を数えるまでになり、近隣には、「大一湯」「友栄湯」「日の出湯(平成10年1月廃業)」なども賑わいを見せていたが、現在(※執筆当時2013年)では...