西国ロマンチック街道 賀古川宿
現存する古き良き時代の面影を楽しみながら、ゆったりと散策してみませんか?
1,700年台の前半(寛永期)に、最も華やいだ宿場町があった。寺家村、加古川村(寺家町・本町)合わせて450軒もの町屋を誇った『賀古川宿』であるが、その最盛期から300年の光陰が流れた今、それを偲ぶ“よすが”(てがかり)はない。
ただ、現存する江戸後期~昭和初期に建てられたといわれる古民家から、多少なりとも往時の雰囲気を想像することは可能である。
これは、歴史ロマンを愛するあなたの為に私が取材、作成した資料…。本ガイド書を手に、街道散策するのも、また、乙なものかもしれませんね。
《1》大村株式会社(溝の口)
社屋の裏に接する庄内川のせせらぎを耳にしながら、『胴切れ地蔵』より眺める風景は絶景!!和風とレンガ造りの倉庫が、見事に調和したロマンあふれる眺望。特に、植え込みの桜が咲く時期は、もっともお薦め。
⬆️『胴切れ地蔵』より眺む社屋裏のロマン溢れる風景
社長、取締役さんによると、この社屋は、昭和17年に建築されたもので、正面玄関は全面タイル張りの洋風づくりとなっている。先代の社長が築いたが、建物に対するコンセプトは特になく、たまたまこのような建物になった、という。
明治25年創業で、現在も毛織物関係を中心とした事業をされている。内部の応接室も、また重厚な造りで、学校の校長室のような風格を備えており、昭和期のレトロな雰囲気を醸し出している。
《2》大村家居宅(寺家町)
当社の西、約200mには大村社長の居宅がある。建築時期は大正時代。取締役のお話では、『先代社長が造ったものなので、安易に取り壊すことは出来ない。』と話される。瓦は、雨漏りがひどくなったので全体の葺き替えをした、との事である。
《3》玉岡本家(寺家町)
寺家町商店街通りを西に歩いていると、亀屋さん(お菓子屋さん)の斜め前に、初めて見る人は、おそらくタイムスリップでもしたかのように、一瞬立ち止まる。そんな重厚で風情溢れる建物が目前に現れる。
表札には、『玉岡本家』と見えるこの古民家は、明治30年当時の住宅地図には「玉岡呉服屋」と記載されており、その末裔である玉岡氏のお話によると、建築時期は、定かではないが明治後期~大正期ではないか、と振り返る。
戦後は、当家の表通り一角に、写真館を営んでいたと話されていた。
ちなみに、西隣で長年にわたって仏壇店を営んでいた『ごくらくや』(現在は移転)さんの建物は、当家と一体のものです、
《4、5》ひだりや(寺家町)
「ひだりや」という珍しい名前の屋号は、既に明治30年当時の街道地図に記載されており、現在も化粧品店を営むお店は、「ひだりや化粧品店」
北側の店は「ひだりや家具店」と見える。家人によれば、『大正の初めには既にこの建物があった、と聞いているので、明治時代に建てられたのではないか、と思います。
北側の建物は、合資会社として業を営んでいましたが、10年前に閉店しました。』と話されていた。
また、昔の思い出話として、『ニッケの女工さんは、地方から来られた方も多く、実家への仕送りも大変だろうと思い、月賦販売を始めたところ、大変喜んで戴いたことを記憶しています。』と話されていた。
《6》藤田邸(旧まん徳、寺家町)
家人のお話によれば、『屋根を改修した際に、棟札を発見し、ペリー来航の二年前、嘉永六年(1853)に建てられたことが分かりました。
以前、二階部は六畳の間が六つあり、ふすまを外すと大広間になる造りになっていました。』
一階部分は、現代風に改造されているが、二階部の正面格子部分については、築造当時のままだと、家人は話される。
写真では、二階部が見えづらいが、黒壁に虫籠窓をうかがうことが出来る。当家は長年に亘り、呉服屋を営んでいたが、現在は仕舞屋になっている。
正面の建物で、カラオケを営んでいる沼田さんによれば、藤田さんからお借りして営業しています、とのことだった。
《7》糟谷邸(旧茶舗、本町)
明治30年頃の地図では、屋号は記載されておらず、戸主名のみの表記である。従ってこの頃は、まだ茶舗の営みはされていなかった、と思われるので、仕舞屋(しもたや)であったのかも知れない。
家人の話では、長年にわたり、茶舗を業としていたが、30数年前に、店はたたみました、との由。建築時期は、おそらく昭和の初期ではないかと考えています、とのこと。一階部は以前の面影を残していないが、二階部分の造りは、当初のまま。白塗りで全体に配した大きな虫籠窓が特徴的で、ロマンチックな雰囲気を漂わせている。美麗で、人目を惹く建物である。
《8》玉垣邸(旧玉垣履物店、本町)
三代にわたって、履物店を営んできた玉垣邸。前述の地図にも、すでに『玉垣履物店』と見える。時代の大きなうねりを感じた店主は、10年ほど前に意を決して、店を畳んだ。二階部分は黒壁で、かつ、庇の造りに昔の面影を残しながら、一階は、洗練された現代風で、趣のある和風に仕上げており、全体的な上品さに加えて、センスのある重厚な風合いをも感じさせる…。
家人は更に『義父(店主)が幼いころにこの家が建った、と申していましたので、年代としては、昭和初期の築造になると思います。』と話されていた。
《9》神田家洋館(本町)
宿場町の風情を残す本町商店街の一角に、不思議な佇まいを見せる洋館がある。
近くで陶器店を営む神田家所有の建物である。
平成3年、痛みが激しいため、家屋を取り壊すことになったが、専門家等の助言もあり、一番最初に建てられた、この部分は残された。
母屋の取り壊しで姿を現した外観は、あたかもコンクリート造りのように見えるが、壁内部はレンガで構成されている。二階建ての建物内部は、神殿を思わせる洋風の意匠が施され、床の間があったり、陶器が壁に塗りこめられていたりと、独特の雰囲気。
『モダンな文化が興った阪神間に負けない、という気概があったのでしょうか』と現店主は話され、築造時期については、明治後期から大正期にかけて建てられたもので、当初は三階まであったが、最上階は取り壊したという。
『この建物は自由な発想で出来た。そんな当時の感性を受け継ぐような空間にしたい』と話されていた。国登録文化財。
~平成4年6月5日付け「神戸新聞」より抜粋して記載~
《10》西谷邸(旧西谷タンス店、本町)
当家は、もともと、現居宅より約100m東に、『西谷ガラス店』として業を営んでいた(昭和4年当時の地図に記載あり)が、昭和28年に、醤油製造業を営んでいた野間氏より買い取り、以降、現在地で家具店を営み始めた。(現在は閉店)
買い取った当時は、二階部には虫籠窓があり、白壁であったそうである。更に家人によれば、当時、一階の店舗入り口は、昔ながらの木戸を一枚ずつはめ込み、また朝の開店時には、都度取り外しをして、店を開けていました、との由。
約20年程前に、近隣に住む識者から『今から120~140年位前に建てられたものと思われます。』といわれ、そうだとすれば、明治初年当時の築造ではないか、とのことだった。
お宅の奥まった部分には、今でも醤油を作っていたと思われる名残をうかがうことが出来、時代の変遷を感じさせる。また、中庭には、築山(つきやま)風の庭園があり、お話によると、築山は買い取った当時のままに保存しています、とのことで、庭園の一番奥まった場所には、珍しいタイル製で、年代物の小さな祠が、当時のままに祀られている。
この家をここまで保存するには、いろいろと苦労と忍耐がいりました、とも話されていた。
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