地域に密着、霊験あらたかな篠原地蔵尊
後世に名と体を遺す歴史であったとしても、結局は人々が日々織りなす何気ない日常の営みの中で生まれるものであり、この史実も決してその例外ではない。
今から306年前、宝永4年亥年(1707)にこの地に観音寺が建立された折に、ともに祀られたのが、この地蔵尊である。
観音寺建立のいわれは、信仰心の厚い近隣住民によれば、およそ次の通りである。加古川はその清流ゆえに、人々に多大な潤いも与えたが、反面“暴れ川”の異名をもつほどに氾濫を繰り返し、人々を苦しめた川でもあった。
その日も、長雨により加古川が氾濫。気をもんだ住民の一人が堤を見回りに行った際、濁流に呑まれながらも岸に流れ着いた“十一面観音菩薩像”を見つけ、拾い上げた。
住民は、それから元の持ち主を突き止めることが出来たものの、その寺も既に流されてしまっており、返すことは叶わなかった。
そこで、現在の地に「流りゅう川山せんざん観音寺かんのんじ」を建立し、菩薩をお祀りすることとなった。「流川山」は、当寺が「龍泉寺」(浄土宗)の末寺であることから、これをもじったのかも知れない。
現在の北向き地蔵
戦後、「流川山観音寺」は取り壊されることになったが、地蔵のみは遺すことになり、道路側に向けた現在の場所に移設。これにより、篠原町を挙げて「北向き地蔵」を宣伝することとなり、現在に至っている。
北向き地蔵のご利益
あまり多くを願わずにお祈りすれば叶えてくれる、とのことである。一つの逸話として…
ある妊婦が逆子であることがわかり、それも出産前一週間であったことから、医者も困り果てる事態となったが、さる人に北向き地蔵を紹介され、日参してお祈りしたところ、なんと正常な形で赤子が出産した、とのお話もあった。
引用:北向地蔵
掲示板による。また、観音寺建立いわれ等については、近隣住民に聴取。
0コメント