加古川城主、糟谷武則:その栄枯衰退の歴史

糟谷氏の家紋:三盛り左三つ巴



糟谷武則は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名で12代目加古川城主。生誕や死没年月は不明。糟谷氏は、播磨加古川城を拠点に、鎌倉時代から続く武家で、武則は、三木・別所氏の家臣であった糟谷忠安の次男である。

有名な「加古川評定」後の秀吉による三木城攻めでは、兄・朝正と袂を分かち、羽柴軍に就いた。

後の“賤ケ岳の合戦”では、「七本槍」の一人として武功を立てて一万二千石の大名に出世した。以下、武則と加古川城…そのかかわりについてのあらましを記述してみる。

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