2020.12.11 05:51重巡洋艦『加古』その栄光と殉難の歴史3重巡洋艦『加古』その栄光と殉難の歴史1の続きです。重巡洋艦「衣笠」乗組員が目の当たりに見た「加古」の最期第一次ソロモン海戦において、「加古」とともに戦闘に加わった、重巡洋艦「衣笠」。その艦に、当時17歳、三等水兵で、「伝令」を主務とした少年兵がいた。大正14年生まれで、94歳のご高齢でありながらも、矍鑠とされ、現在も「兵庫県海交会事務局長」をされておられる、丸 利郎氏である。(下は、『衣笠』乗組員当時、17歳当時)
2020.12.10 05:41重巡洋艦『加古』その栄光と殉難の歴史2前回の続きです。「加古」元信号員による沈没時体験談加古乗組員で、信号員であった石上民夫さんは、ご高齢また、体調不良等で、残念ながら慰霊祭にはご出席戴けなかった。そこで、事前に神戸新聞社・記者が、氏のお住まいである洲本市に出向き、沈没当時の状況を取材した。以下、(4年前の)神戸新聞掲載記事(2015-8-7付け)より、氏の述懐を抜粋して紹介する。『前夜の圧倒的な戦果に、“やった、やった!”と沸いていたのが一転して、“ドーン・ドーン”という轟音が鳴りひびき、一瞬にして海中に投げ込まれた。覚悟はしていたが、やはり命は惜しかった。みんな浮いている樽などにつかまり、死ぬ思いで漂っていた。重度のやけどを負ったまま、サメに襲われ、命を落とす戦友もいた。私は、漂流して...
2020.12.09 05:41重巡洋艦『加古』その栄光と殉難の歴史1 加古川ゆかりの帝国海軍軍艦 遙か南の洋上より、艦内神社を通じて、加古川と日岡神社に思いを馳せた乗組員、そして全ての戦没者に鎮魂の誠を捧げる。
2020.07.18 02:27決断なき原爆投下 ~米大統領71年目の真実~ 編者 まえがき“原爆投下は全く正当なものだ、と大半のアメリカ人が答えている。しかも、日本本土に侵攻していたら、失われたであろう非常に多くの、それも100万人の命が、原爆投下によって回避できた、ということ“。…70年に亘りこのような定説が“真実”となり、殆んど誰も異論を唱え者はいなかった。しかし、いま、その「真実」に隠された驚愕の実態が白日の下にさらされることとなった。
2020.07.07 12:42特攻中継基地『加古川飛行場』と兵士たちの安らぎの場となった旧中村旅館の物語 『さぞ淋しかったでせう。今こそ大聲で呼ばせていただきます。お母さん、お母さん、お母さん…と。』(特攻隊員の遺書より) 第5次航空総攻撃は、初めて加古川で編成された。この目的は敵艦船を徹底的に攻撃して沖縄上陸米軍の背路を遮断し、戦局を有利に展開することにあった。総攻撃の開始は、昭和20年4月28日と定められた。この日移動性高気圧は東シナ海にあり、九州は快晴、南西諸島一帯に晴れ、台湾東部には雨が残った…。4月28日、六航空軍の特攻攻撃は日没前後36機で敢行された。4月から始まった特攻作戦では、陸海軍併せて2200名に上る有為ある若者が、沖縄海域で華と散った。