続・懐かしの活動写真館シリーズ【1】

夢と憧れが詰まった少年期の原風景・・・映画館

私が映画に傾倒しだしたのは、たしか中学生後半頃からだと思う‥。

当時、「旭倶楽部」では主に洋画を上映していた。

邦画もよく観たが、そのころの洋画は、圧倒的なスケールの大きさとともに、洗練されたカメラワーク、俳優が語る洒落たセリフなどに強いあこがれの気持ちを私に抱かせるに十分な映画であった。

記憶によみがえる私なりの名画を数えるには枚挙にいとまがないが、ここでは、このページが埋まる程度にご紹介したいと考える。


『草原の輝き』

まず第1に挙げたいのは、アメリカの悲恋映画「草原の輝き」である。

この映画で中学3年生の私は、主演ナタリー・ウッドの大ファンになった。

共演は、ウオ―レン・ビューティー。監督は、巨匠エリア・カザンである。ラストシーンが感動的で、今でも脳裏に焼き付いている。風にたなびく草原を撫でるようにカメラがゆっくりと回っていく。


その画面に、ワーズワースの詩が映し出される。“草原の輝き花の栄光再びそれが還らずともなげくなかれその奥に秘めたる力を見出すべし‥。”この詩は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。私には一番の名画となった作品である。‥‥

恋愛映画といえば、そのメッカは、やはりフランス。





『シェルブールの雨傘』


次に紹介したいのは”シェルブールの雨傘“である。主演はカトリーヌ・ドウヌーヴ港町シェルブールに住むジュヌヴィエーヴとギイが奏でるこれもまた悲恋映画であった。

特にダニエル・リカーリが歌う主題歌は、世界的なヒット曲となった。

別れた二人が偶然にも出会うシーンが印象的。雪が深々と降りつづく静寂に包まれた深夜、ギイが営むガス・スタンドにゆっくりと1台の車が給油に立ち寄る。

ジュヌヴィエーヴとその子である。「会ってみる?」の言葉にギイは首を横にふる。車が立ち去った後にギイの妻子が帰ってくる。その幸せに満ちた表情と動きをカメラはロングショットでゆっくりとその場面から遠ざかっていく。

現在女性が観ても、きっとハンカチなしでの観賞は難しいのではないか、と思われる秀作である。





『橋』

次は、ドイツ映画で「橋」。

第二次大戦末期の実話に基づいた作品で、決してメジャーではなかった作品ではあるが、私には様々な悲劇的なシーンを今でも鮮烈に思い起こさせる映画である。

これまで、低年齢のために兵役に取られなかった七人の少年たちに、ちっぽけな橋を米軍から守れ、という命令がドイツ軍部より下される。

彼らは懸命に任務を遂行しようとするが、一人、また一人と銃弾に倒れていく…。

敗色が濃いとはいえ、少年のみを守るべき価値のない小さな橋に送り込むという戦争の不条理さと狂気、冷酷さを初めて私が感じ取った作品であったのかもしれない。‥‥



『名もなく貧しく美しく』

最後にご紹介するのは「名もなく貧しく美しく」である。

小学校6年生の時、当時校外授業の一環として、映画観賞会があり、私も「旭倶楽部」で級友とともに観賞した。昭和36年(1961)の映画で、主演は、高峰秀子と小林桂樹。息子役は北大路欣也で当時まだ18歳。

監督は、松山善三。互いに聴覚を失った二人が同じろう学校を出たことで知り合い、当時の社会では受け入れてもらえにくい、過酷な環境にもめげず最後まで力強く生き続けていくという、社会派ドラマである。

妻である秋子が、夫の為離別を決心して書置きを残し一人電車に乗る。それを知った夫がやっ

との思いで隣の車両に飛び乗り、車両越しに妻を手話で説得する。

そして、ようやく妻の心も癒えたとき、夫は手に持った妻の書置きを小さく破って車窓から風に流していく。

手紙が車窓から吹雪のように舞い散っていくそのショットは、いま思い出しても感動的なシーンであった。

小学生なりに社会の不公平さや、正しく生きていくことの難しさを感じさせられた一編であったのかもしれない‥




0コメント

  • 1000 / 1000