疫病蔓延を憂い、その終息を祈願する為大師堂建立に奔走した熱き四名の住人がこの地にいた。。
国道2号線の大川町信号北側直近の住宅道路沿いに、約八坪余りの瀟洒なお堂がある。
以前より、その縁起について気になっていたところ、この度、知人を介して大川町の歴史に精通した御仁を紹介していただくことになった。
大川町で、かって13年間も町内会長を勤められ、この地の“生き字引”とも言われている、品川徹氏である。
お堂の入口に設置された看板には記されていない、当時の出来事について、品川氏に詳しくお聞きすることが出来たので、以下、その伝聞について紹介する。
江戸時代の末期、当地は「南町」とも言われ、この界隈には、大勢の「川越人足」が住んでいたと言う。嘉永三年(1850)、当時、この地では、疫痢が流行、蔓延し、多数の川越人足や住民が亡くなったとの事。そこで住民が相談し、お堂を立てて、祈願すれば、疫病も終息するのではないか、と考え、4名の心熱き有志が、高野山に赴き、弘法大師像を拝領するとともに、分霊を授かって、帰播し、その内の一人が土地を提供して、住民有志の浄財により、この地に「弘法大師堂」を建立したとの事である。
その後、疫病終息を願って、祈願したところ、徐々にではあるが、終息に向かったとの言い伝えがあり、霊験あらたかなお堂として、150年余りにわたり、地域住民に守られ、また見守ってきた「お大師様」として現在に至り、近隣4名の主婦により、大切に維持管理されているとの事である。なお、現在のお堂は、品川氏ご自身が音頭を取り、ご自身によ
る浄財出資はもちろん、住民有志からも浄財を募り、平成11年6月20日に完成。こけら落としの際には、当時の加古川市長や県会議員などの出席を得て、賑々しく催行した記憶があります、とのお話であった。
「川越人足」についてであるが、氏によれば
寺家町の大庄屋・中谷家が出資し、多数の長屋を作り、大勢の人足を住まわせていた。渡河要員のみならず、参勤交代などの際、旗持ち、槍もち、鎧もちなどの必要な要員も、中谷家が全て人足を統括して配置していた、との伝聞があります、とのお話であった。毎年8月23日~24日にかけては、「お大師様祭り」を催行、近隣住民がお供え物を持ち寄り、子供たちが賑わう行事は、永く今なお続いている。
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