JR加古川駅南玄関口より高架沿いの歩道を西へ約200m。そこに、ひときわ目を引く和洋折衷のクラシカルな建物がある…。
淮田邸である。
以前より、その由緒について気になっていたところ、つい先日、幸運にも、ご自宅前で家人とお話をお聞きする機会を得ることが出来た。
品の良い奥様と、実直そうなご長男に促され、邸宅の内部までご案内をいただけることとなり、宝湯の取材以来、久々に昭和レトロを満喫させていただいた。以下は、そのご家族にお聞きした話である。
今から遡ること約80年(昭和10年頃)、当家の祖父にあたり、当時「東播米穀」(現在の『(株)トウバン』の前身)という商号で財を成した淮田光男氏が本町の棟梁・石飛氏に依頼して完成したのが、現在の建物である。
このデザインは、三浦孝一氏によれば、「看板様式」と呼ばれた作風で、中央にしつらえたライオンの顔は、光男氏の趣味によるものだったと言われている。釘は一切使用せず、全て木組みであることも功を奏したのか、阪神大震災にも、まったく損傷はなかった、とのことである。
(なお、本書に掲載した渡邊撮影による写真は、ご家族のご了承を得ていることを付記する。)
かって、市より「加古川市文化財」に指定したい、とのオファーを受けたことがあり、それを裏付けるかのように、事務所内をはじめ細部にわたって、その年月が、悠久の時を経て古典的な雰囲気をごく自然に醸し出している。
腰壁には、「桜御影石」を、また邸宅内部の隅々にまで、多種にわたる絵柄のスリガラスが使われており、これまでに一枚も割れたことがない、とのことだった。
“装飾”だけです、とお話された金庫も、その重厚さが、室内の雰囲気を一層ノスタルジックにさせている。
『角丸(すみまる)』は、四隅がアール状に加工された建具で、強度も高く、高価なため、現在では使われていない。
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