志方町山中地区の伝説
四百五十年を経た今もなお、お参りが絶えないと云われる伝説のお地蔵様‥。三木城落城にまつわる、一武士の悲劇に心を寄せ続けてきた村人の慈悲心が現代においても連綿と引き継がれていることに
驚きを禁じ得ない‥。
明日にも開花宣言か、という暖かな日差しの中、私の車は、志方町「皿池」の信号を左にハンドルを切った。サンバイザーを下ろし、陽光のまぶしさを避けながら西にしばらく車を進めると、左側に「焼山池」があり、それをやり過ごして少し西に進むと、すぐ右側に写真のような小堂(お堂)が見える。
ここに現在八体ものお地蔵さんを従えて中央に鎮座する「腹切り地蔵」が祀られている。代々この村に住み、現在の(地蔵の)持ち主である三村達生氏によると、昔はそばに大きな松の木が建っていたが、雷に打たれて、今はもう根元も残っていないという。
周囲を見渡すと、雑草で踏み場もないような荒れ地に見えるが、三村氏によると、地目は「山」。建物のすぐ左側には、清浄な水を湛えた小さな沼があり、お地蔵さんと一体となって、ある種の神聖なたたずまいを周囲に醸し出していた‥。
小堂内を観察してみると、この小堂を寄付したのは、地元山中出身で、姫路市在住の「坂尾幸二」氏である、と表示されている。昔は、三体のみであったらしいが、信仰心の厚い村人や、遠方からの参詣者で霊験あらたかな人々がいつの頃からか、思い思いにお地蔵さんを持ち込むようになり、現在の様に九体にまで増え続けてきた、と三村氏は話す。
腹切り地蔵の謂れ
天正八年(1580)に三木城が落城した時、一人の落ち武者が、この地まで逃げてきたが、何しろ二十二ヶ月にわたる籠城の末のこととて、飢えと疲労の為この地「山中」に差し掛かった時、そのまま気を失ってそのまま倒れてしまった。
その話を聞いた村人が様子をみにきたところ、なんと、その武士は割腹して、すでに果てていた、というのである。
三木城を応援するために、西国から駆けつけてきた一人の武士が、ここまで来て、村人に三木城の様子を聞いてみたところ、時すでに遅く、落城してしまったことを耳にした。
すると、その武士は落胆のあまり、その場で切腹して果ててしまった‥、という説である。いずれにしても三木落城にまつわる伝説で、その後、村人は武士が果てたその地に石地蔵を建てて武士の菩提を弔ったが、不思議なことに、今度はその石地蔵もいつの頃からか腹を切ったような形になっていた、と言い伝えられている。
像の高さは約60㎝、胴体は確かに、まるで切られたかのように、きれいに割れている。このお地蔵さんは、どんな願いでも、一つだけは、叶えてくださると伝えられている。
三村氏のお話はさらに続く‥
お堂の見学後、私はこの地区の集落を一軒一軒訪ねて回り、やっとたどり着いたのが、三村達生氏宅であった。気さくな方で、初対面の私にも丁寧にお話しを戴くことが出来、自然に心も和んだ。
氏の話は、さらに続く‥。
『いつの頃からかはわかりませんが、大昔からこの地にお地蔵さんがあった、と代々伝えられております。お地蔵さんのある場所は、当家の土地であるので、今は私の所有物ということになっています。』
大昔は、この山の中にお地蔵さんが、三体あったらしいです。
なぜ三体なのかは、わかりません。周囲を石ころで囲み、お参りする人のための細い道があったと、祖先からは聞いています。お地蔵さんのお世話(お花の入れ替えや、涎掛けの
洗濯その他)は、信心深い参詣者が、自主的に行っておられ、とても感謝しております。私は、周囲の清掃や、周りに花を植えたり、と、そのようなお努めをさせて戴いております。
昭和62年には、加古川市教育委員会が立て看板を設置してくれました。いまでもお参りされる方は結構多いですよ。』
お地蔵さまが個人の所有物である謎‥
お話を伺っている間に、大きな謎が浮かび上がってきた。
なぜ、“お地蔵様が個人所有なのか?”と‥。現代の常識的感覚では、理解しがたい問題であろうと考える‥。そこで、これはあくまでも私が想像する仮説ではあるが、次の様に考えれば、納得が得られるのではないだろうか‥。
お地蔵様が建てられたのは、おそらく、秀吉の時代であったろう事は容易に想像がつく。この時代は、制度の末期ではあったが、まだ「荘園」として、この地は
五箇荘のうちの、「印南荘」と称された時代である。とすれば、一農家が山の所有者であったとは、考えにくい。
当時は、まだ貴族や豪族、寺院などが領地として管理しており、この地では、「報恩寺」が、その管理に当たっていた。(「ひろかずのブログ」より)従って、何時からかは判然としないが、お地蔵様が、三体建ったままの状態で、当家(三村家)が譲り受けた、または分与されたのではないか、とも考えられる。あと一つの疑問は、なぜ、三体だったのか‥ということであるが、これは読者の想像にお任せしたい。
歴史は、当時に思いをめぐらすことによって、ロマンが感じられる‥そう私は考えています。
引用文献:①志方町誌②ひろかずのブログ取材に応じて戴いた方:志方町山中(お地蔵様所有者)‥三村達生氏
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