加古川町友沢 壽願寺(じゅがんじ)

フジバカマ…その乾燥葉の、桜餅にも似た香しき

匂いに誘われ優美に舞い降りる“アサギマダラ”

錦秋の友沢には、そんな風情を醸し出す

古刹があります。




毎年、仲秋の候になるとアサギマダラが舞い降りるお寺

(今年は10月6日に飛来)

編者が初めて壽願寺に伺ったのは、酷暑を避け、わずかばかりの涼風がそよぎ始めた九月上旬の夕刻近くであった。初対面であるご住職に促され、客間から眺める庭園には、樹齢200年ともいわれる当寺の銘木・蘇鉄(ソテツ)の木。


子宝に恵まれ、そのいでたちがあたかも鳳凰のようにも見えることから、蘇鉄を植樹している寺院は多いが、ご住職によれば『高さは5メートル以上もあり、加古川では、おそらくここが一番大きいと思います。』とのご説明をいただいた。


加古郡誌によると、文禄二年(1593)開創とあり、「真宗・本尊阿弥陀如来。加古郡鳩里村ノ内友澤村」との記述がみえる。その昔より当地には「福田」姓が多く、現在でも福田に続いて「生田」「糟谷」「藤原」を名乗る表札が数多くみられる村である。


当寺歴代記には記載はないが、ご住職によれば、当寺の開創者(初代住職)も「福田」姓であったとのことである。



ご住職のお話は更につづき、寺歴によると、戦国時代に秀吉に仕えた福田家は、三木城落城のおりに、加古川河原で茶の野点の会を催し、秀吉をもてなしたと言われている。


その際に、拝領した品が、(次頁で詳述)現在でも寺宝として大切に保管されている“三光石”そのものである。



寺宝・三光石(さんこうせき)(現存)


『三光石』は、秀吉が朝鮮出兵より帰朝した際に持ち帰った“三韓”の土産と称され、日・月・星を形どった霊石と言われる。編者が二度目に伺った折には、わざわざ床の間に飾っていただき、その珍しさに、自らの眼を疑ったほどである。

ウキペディアフリー百科事典によると、三韓とは、1世紀から5世紀にかけて朝鮮半島南部に存在した種族と、その地域。朝鮮半島南部に居住していた種族を韓と言い、言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる馬韓・弁韓・辰韓の三つに分かれていたことから「三韓」といった。


二百余年もの光陰を経て、寺宝(口伝)蛙釜(かわずがま)の謎がが今明らかに!

ご住職より、『口伝としての「蛙釜」が当寺にあるとの事でありますが、その言い伝えとおぼしき書が、二百年余りにわたって掛け軸として当寺に残っています。しかし、その内容が、全くと言っていいほどに判読できないまま、いままで経過してしましました。


どなたか解読していただける方をご存じないでしょうか?』とのお話を伺って、以前「如意寺」さんの石碑解読でお世話になった「東加古川古文書研究会(会長:角村茂夫氏)を思い出し、早速にご依頼することとした。

栗本青蘿二世である、あの栗本玉屑が…生国である肥後の国(熊本)天草より焼き物を持ち帰った。そして、その蛙釜が廻り回って壽願寺に…その事実に遭遇した時、正直、軽い驚きとそして何かの縁の引き合わせ…そんな、眼に見えない尊大な力を感じざるを得なかった。改めて歴史の面白さ、奥深さを実感することとなった壽願寺取材でもありました…。合掌



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