加古川駅 写真で綴る127年の軌跡

加古川駅が産声を上げた明治二十一年。三ケ月間の利用客数は上等、中等併せて平均四人、下等にあっても百七十一人で、合計一日当たり僅か百七十五人に過ぎなかった。


加古川市統計書によると、2014年度の1日あたりの平均利用者数(乗車人員)は22,523人である。これはJR西日本の駅では第44位であり、開設当初の約130倍に上る。


加古川駅は明治21年12月23日に、山陽鉄道・明石~姫路間が開通した際に開設された。下の写真は、大正初期に撮影された駅舎で、その後大正8年に改修された。


山陽鐡道は、私設鐡道中最も古い歴史を持ち、明治十八年天皇陛下の山陽道御巡幸後世間がまだ鐡道の必要を感ぜず、一部ではむしろ厭忌した時代の事である。

その内、川上彦次郎、村野山人、伊藤長次郎、岡崎眞鶴等によって敷設会社が組織されたのは明治十九年で、二十一年一月十四日に政府認可があり、十一月十一日に兵庫~明石間が開通。十二月二十三日に明石~姫路間が開通、この日、加古川驛が開設した。初代の驛長は、中西一基が務めた。


當時、社交並びに商取引の如きは一般に閑散であって、汽車の利用は少なく、加古川驛開業後の九十九日間は、乗客上等三十二人、中等三百九十一人、下等は一萬六千九百三十二人、一日平均百七十五人に過ぎなかった。


開設當初の初乗車賃は、一哩(1.6km)下等一銭、中等二銭、上等三銭、大阪梅田驛までは、下等五十銭であった。~以上、加古川市詩第1巻(昭和27年6月発行)P370より抜粋~


⬆️明治44年5月14日、播州鉄道(株)が設立し、現在の加古川線の敷設を開始。写真は、大正2年12月1日に加古川~高砂間が開通した列車が高砂口駅手前で加古川の鉄橋を走る。

(「加古川・高砂の100年」より引用)

⬆️改修前の加古川駅職員。詰襟、五つボタンの制服と職員の口髭が大正ロマンを漂わせる。(大正初期)

(写真は、JR加古川駅所蔵資料より引用)

⬆️播州鉄道のホームから見た風景。(昭和初期)上りホームで列車を待つ人々の様子がわかる。

(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用



大正8年駅舎を改修


大正8年5月1日に駅舎を改修。2倍以上に拡充された。

建物は大阪桜島駅舎を移築してきた。風情のある明治時代の西洋建築で、中央の入口(上部にステンドグラスが見える)と右側には出口が映っており、出口の前には大きな柳の木があった。

写真に写っていない左側には、小荷物の受け渡し場所があった。この駅舎は平成16年の高架完成まで使用された。(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用)

播州鉄道の鉄橋(昭和初期)黒煙を上げて橋上を走る蒸気機関車の雄姿。今となっては懐かしい風景である。(「加古川・高砂の100年」より引用)

旧高砂線のSLが発車するところ(戦後)

高砂線は、大正2年に営業を開始し、昭和59年に廃線となった。(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用)

昭和24年6月1日、「日本国有鉄道」として発足した翌年の昭和25年6月15日に大規模な消防訓練が行われた。この年、加古川・神野・野口・平岡・尾上が合併し、加古川市が誕生した。また、別府町が合併、人口は56,300人となった。

(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅

写真資料より引用)

昭和27年7月3日、豪雨で曇り川が氾濫し、ホームが水に浸かった。浸水家屋は、1,500戸といわれた。(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真

資料より引用)


昭和30年2月10日、明石~姫路間国鉄電化起工式が、駅構内で挙行された。電化が開始されたのは、三年後の昭和33年4月10日だった。(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用)


昭和31年10月29日第11回国民体育大会で、加古川で開催されるハンドボール競技を見学される天皇、皇后両陛下をお迎えした。

(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅

写真資料より引用)



加古川駅に停車する『お召列車』

(写真は、JR加古川駅所蔵資料より引用)

アーチと新興会館。(昭和36年)

昭和31年に開館した。昭和47年にはデパートとして再生した。

(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用)


昭和45年、市制20年を迎えた加古川駅前風景。この年、加古川市旗が制定された。

(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内

加古川駅写真資料より引用)


昭和 中期 の加古川駅

(写真は 、JR 加古川駅所蔵 資料より引用 )


昭和60年3月14日、加古川駅が普通電車の始発駅になった。写真は、その祝賀セレモニー。この2年後、昭和62年3月31日に日本国有鉄道廃止・分割。4月1日に「JR西日本」として発足。更に、その2年後の平成元年には、駅前に「カピル21」と「そごう」が開業し、約18万人が詰めかけ、大混雑となった。

(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用)

平成13年12月。平成9年から始まった「かこがわリバーファンタジー」では、2万個の電球で駅前をライトアップした。(写真は、加古川総合文化センター収蔵庫内加古川駅写真資料より引用)


平成16年12月。駅高架完成並びに加古川線電化完成記念セレモニー。翌年の3月27日には、「ビエラ加古川」が開業した。

(写真は、JR加古川駅所蔵資料より引用)

編集後記120年余に亘る歴史を、たかだか4枚のシートに詰め込まざるを得なかったことに対し、鉄道関係者の方々お許しを乞うものでありますが、今回の取材に際しては、特に加古川総合文化センター様ならびにJR加古川駅様には、写真引用等絶大なるご協力を戴きましたこと、ここに厚くお礼申し上げます。

平成27年8月15日

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