明治天皇と”樹悳堂” 陣屋、その栄光の歴史

明治天皇御巡幸に際しては千古未曾有の御巡幸とて、沿道を清掃し、本道並びに横道通行を差し止め御通輦(れん)の際は二階または高所にあることを厳禁され、藩治時代にその風習があったこととて店先にゴザを敷き、合掌して拝伏するものもあり、縁故をたどって町家に来たものも極めて多かった。

陛下より畏くも加古川鮎について御下問があったので、鮎十尾を奉献したところ御嘉納あらせられた…。

~明治十八年八月九日陣屋は、その歴史において最も輝きに満ちた栄光の一日を迎えることとなった…。

明治18年7月26日、明治天皇(御年32歳)は山陽道御巡幸のため、宮城を輦にてお立ちになり山陽道に向かわれ山口、広島、岡山の三県に亘り巡回された。

8月9日午前11時、御帰館の途次、陣屋に入御され御昼食を召された。この時、お付きである内務大臣・伊藤博文(この年の12月22日に内閣総理大臣就任)は寺家町・三宅利平方に休息をとった…。

陣屋その歴史の一端

陣屋の夏祭り


昭和12、3年頃まで加古川名物“夏祭り”の先駆として、陣屋内に祀る天幸大明神の祭礼があり、屋敷内外に人形の作りものを並べての見物客で大いに賑わった。大正生まれの人々の思い出の風物詩である…。

編集後記

氏の編集・作成による「樹悳堂由来記」は、33頁にも上り、たった2枚の原稿に小生なりに再編集するには、余りにも僭越であり、従って極めて骨の折れる作業でもありました。止む無く割愛せざるを得なかった部分・文脈に対し本紙にて今は亡き氏のお許しを乞うものであります。また今回の作業を通じ改めて岡田義治氏が遺された偉業、その大きさを実感させられた次第であります。合掌


引用文献

加古川市指定文化財

樹悳堂由来記

岡田義治氏編集




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