2020.09.29 10:42懐かしの活動写真館シリーズ【2】加古川映画劇場 昭和5年、加古川駅前の「大成座」から「新興座」に改称された頃、本町・雁南川のたもとには、芝居小屋「加古川劇場」があった。加古川映画劇場 「映画館名簿」によると、昭和27.28年当時までは「加古川劇場」。その後昭和35年には「加古川映画劇場」と記載されているが、地元の人々には「加古川劇場」として記憶されている。同名簿によると、営業不振で昭和37年に「閉館」となっている。下の写真は昭和27年に撮影されたものであり、高校生らしき人物がチケットを購入している様子が写されている。
2020.09.23 06:10懐かしの活動写真館シリーズ【3】新興座と新興会館 昭和7年(1932)、倉谷清太郎氏の手に移り、改造を加えて「新興座」となり、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この館で上映された「青い山脈」や「君の名は」は超満員だったという。
2020.09.18 08:02加古川市立加古川図書館 ~その生い立ちと歴史を探訪~“加古川町の川まつりは、俄然近づくにつれて人氣沸騰し種々な催し物が豫想よそうされてゐるが搗かてて加えて本年は待望の公會堂の新築落成式を兼ねてゐるので一層の好況を見せるであらう“~昭和十年十月二十九日付
2020.09.15 07:51篠原地蔵尊(北向き地蔵)地域に密着、霊験あらたかな篠原地蔵尊 後世に名と体を遺す歴史であったとしても、結局は人々が日々織りなす何気ない日常の営みの中で生まれるものであり、この史実も決してその例外ではない。今から306年前、宝永4年亥年(1707)にこの地に観音寺が建立された折に、ともに祀られたのが、この地蔵尊である。観音寺建立のいわれは、信仰心の厚い近隣住民によれば、およそ次の通りである。加古川はその清流ゆえに、人々に多大な潤いも与えたが、反面“暴れ川”の異名をもつほどに氾濫を繰り返し、人々を苦しめた川でもあった。
2020.09.14 07:36続・懐かしの活動写真館シリーズ【1】夢と憧れが詰まった少年期の原風景・・・映画館私が映画に傾倒しだしたのは、たしか中学生後半頃からだと思う‥。当時、「旭倶楽部」では主に洋画を上映していた。
2020.09.13 07:35懐かしの活動写真館シリーズ【1】旭倶楽部 私たちが幼いころ、親世代は、それを“活動写真”と呼んでいた。 昭和30年から40年代、私たち団塊の世代に夢と憧れを与えてくれたのは、“娯楽の殿堂”「映画館」であった。昭和21年から昭和40年代前半にかけて、加古川には6館の映画館があった。第1新興会館と第2新興会館(篠原町のビル内)、旭クラブ(本町)、大劇(寺家町)、加古川劇場(西本町)、日映(篠原町)である。それぞれ扱う作品の系統に特徴があったが、最盛期にはどの「自転車預かり場」も満杯であった。(昭和30年代の自転車預かり賃は、1台10円と記憶している。)ただ、昭和40年前半から普及し始めたテレビの登場により、全国的に徐々に衰退がはじまり、昭和の終焉前にはすでに全館が閉館するに至った。平成13年(2...