2020.11.07 03:12あまねく衆生の安寧を願い続ける 平野・胴切れ地蔵『無礼者!』供侍が激昂するや否や、横一文字に空を切った刃は、不覚にも参勤交代の行列を横切った一町人の胴を瞬時のうちに一刀両断にした。「無礼討ち」であった。しかし…、である。その若者は一時の後に目を覚まし、切れたはずの腹をまさぐってみたが、なんということか、傷痕ひとつないではないか!狐につままれた思いで、ふと近くのお地蔵さんを見てみると、驚いたことにお地蔵さんの胴体が真っ二つに切れていたのである。『お地蔵さんが身代りになってくれた!なんとありがたいことか。』と、その若者はお地蔵さんの慈愛に感涙するとともに一層信仰心を深めていった、とのことであった…。
2020.11.06 03:09加古川地蔵尊為 河川犠牲者追善供養 真紅のペチュニアに囲まれた地蔵尊を訪れた7月17日、“私がこのお地蔵さんの涎掛けを作っているんですよ”という女性に偶然にもお会いすることが出来た。米田町に住む彼女の話では、これまで700枚以上の涎掛けを作って市内のお地蔵さんにお参りし、交換しているのだ、という。ゆうに80歳を超えたこの女性は、さらに次のように続けた。“お蔭様でこれまでお金にも困らず、健康にも、また家族にも恵まれて、本当にありがたいと感謝しています。お地蔵さんのお蔭です。”ちなみに、この方のお名前は、お地蔵さんの涎掛けの裏側に記入されている。余徳をいただくため、一度涎掛けをめくってみては…?
2020.11.04 01:07『播磨鑑』(はりまかがみ)平野庸脩 四十数年をかけて、播州をくまなく調査し、地詩『播磨鑑』を大成した、加古川が生んだ稀代の偉人、平野庸脩「播磨鑑」は、江戸時代に平野庸脩が著した播磨国の一大地詩である。庸脩は播磨国印南郡平津村(現在の加古川市米田町平津)の人で、名は「庸脩」(ヨウシュウまたは、ツネナガ)といい、通称「才一郎」、「才市郎」、また「佐一郎」ともある。「歴暢」また、「露竹」、「風帆堂」と称した。父母や彼自身の生没年は詳らかではないが、医を業としながら、他の学問も好み、数学、暦術(太陽・月・星などの動きを測って、暦をつくる方法)を学び、旧史を好み、詩歌も詠じた。四十数年をかけて、播州をくまなく調査し、「播磨鑑」を大成し、宝暦12年(1762)には、姫路藩主・酒井忠恭に、これを献上...