2020.05.31 05:24加古川駅 写真で綴る127年の軌跡 加古川駅が産声を上げた明治二十一年。三ケ月間の利用客数は上等、中等併せて平均四人、下等にあっても百七十一人で、合計一日当たり僅か百七十五人に過ぎなかった。加古川市統計書によると、2014年度の1日あたりの平均利用者数(乗車人員)は22,523人である。これはJR西日本の駅では第44位であり、開設当初の約130倍に上る。
2020.05.30 11:33昭和レトロが醸し出す過ぎし日へのノスタルジー『宝湯』コーヒー10銭、たばこ7銭、はがき1銭5厘…。ウォール街での株価暴落が契機となって世界大恐慌へと発展し、大量失業時代を迎えた昭和4年…。“大学は出たけれど…”そんな言葉の流行った暗い世相のさ中に、“宝湯”はこの町で産声を上げた。近くに住む志原氏が建築主(創業者)で、当時の屋号は“敷島湯”。以降いつの頃からか、岡田さん、という方が引き継ぐことになり屋号も“高砂湯”に…。現在の経営者である服部氏が“宝湯”(開業当時は「寶湯」)と改名し、開業したのは昭和32年のことである。最盛期(昭和44、45年頃)には全市で16軒を数えるまでになり、近隣には、「大一湯」「友栄湯」「日の出湯(平成10年1月廃業)」なども賑わいを見せていたが、現在(※執筆当時2013年)では...
2020.05.26 06:11奉天会戦 知られざる一兵士の歴史 元・姫路歩兵第三十九聯隊歩兵一等卒 西田常次氏・顕彰モニュメント建立から八十七年を経た今、声なき顕彰碑が語る「沙河会戦、奉天会戦」‥武勲を称える碑文の行間に刻まれた殉難者の悲痛な思いに心を寄せ、以て戦争の悲惨さと愚かさを後世に語り継いでいただければ幸に存じます‥。
2020.05.25 05:19干殺しではなかった?三木城陥落の真偽加古川の支流である美嚢川が大きく蛇行した三木市の中心部、「上の丸公園」に三木城跡がある。羽柴秀吉の大軍を一歩も寄せ付けず、二年近くも籠城して守った天下の要塞であったが、今は本丸跡の天守台に建つ最後の城主、別所小三郎長治の辞世の歌碑が、ひっそりと往時を語りかけるだけで、遙か昔、栄枯盛衰を極めた城郭を偲ばせるものは、ほかに何もない。正に“色即是空”(形ある全てのものは、いつかは消滅し、現世から消えていく…、という仏典「般若心経」に記された人生の「無常」を意味する言葉)…夏草や兵どもが夢の跡、である。