2020.08.31 08:47消えゆく町 加古川”検番筋”長老たちの古き懐かしき時代証言「加古川小学校」の前身は、検番筋に存在した!(1) 学制が公布(明治5年)された6年後(明治11年)、寺家町144番地に「麑げい松しょう小学校」が誕生した。(粟津・北在家・平野・加古川町・木村・稲屋・友沢・中津・備後各地区を包括)明治40年に廃校になるまで、29年間存続した。(2) 明治40年12月2日に、「加古川町立加古川尋常小学校」として新校舎落成。(現加古川小学校北側に隣接する「金剛寺浦公園」に落成した。)ーーー明治33年生まれのK氏の話…私は明治40年入学で、当時は、鳩里、加古川が一緒で、1~2学期を過ごしました。そして、学校が新設されて移転のとき、造園のため大きな石を二個運びました。まだ小さい頃だったので、かなり重たかったことを記憶しています...
2020.08.31 08:27稀代の文楽三味線弾き「豊澤團平」その芸道と愛の軌跡 茜はまたまた驚いて、ちょっと使っただけの一の糸をなぜ捨てるのか?と徳兵衛に訊ねる。「一の糸は、いじったらすぐに替えないかんのや。三の糸が切れたら二の糸で代わって弾くことが出来る。二の糸が切れても一の糸で二の音を出せる。そやけども、一の糸が切れた時には三味線はその場で舌を噛んで死ななならんのや…。」(有吉佐和子「一の糸」より)
2020.08.18 08:30加古川町平野 龍泉寺〜春秋を織りなし、おろち伝説が今なお息づく播磨の名刹〜 昔、龍泉寺は、寺家町字蔵屋敷、今のニッケパークタウンの辺りにありました。この付近には大蛇が棲む大池があり、里人は毎年人身御供を行っていました。ある時、諸国修行の旅僧が池のほとりに通りかかると、娘とその両親らしい男女が、さめざめと泣いており、何事かと、里人に聞いたところ、『この池に大蛇が棲んでおり田畑や人畜に害を及ぼすので、毎年、人身御供をしています。今年は、あの娘さんがくじに当り、今夜、この池に身を投げることになっているのです。』旅僧は、気の毒に思い、『今夜のところは、拙僧に任せなさい。』と言って、親子を家に帰し、一人、堤に立って静かに念仏を唱え始めました。真夜中近くなった頃、にわかに黒雲が沸き上...
2020.08.16 02:46賀古泊(かこのとまり)の守護神『泊神社』 その由緒と歴史を訪ねて 『私たちが小さい頃には、隋ずい神門しんもん(神門)南側の「泊川」は水量も多かったし、水もきれいでしたから、夏になると、子供たちはみんな泳いでいました。隋神門のちょうど前あたり、川べりには、川の中まで続く石段があって、石段の一番上両側には常夜燈が2基建っており、“船着き場”の風情を残していました…。撤去されたのは、昭和47年に始まった泊川改修(矢板打ち)工事の時と思いますが、現存していれば、よい史跡になっていたと思いますよ。』
2020.08.16 02:26霊松『鹿児の松』とともに歴史を刻み続ける薬王山常住寺薬王山 常住寺因みに新宮十郎行家の腰かけたる松は所謂、初代鹿児の松にて、松の高さ三丈二尺(9.7m)、太さ三丈一尺(9.4m)東西二十一間(38m)南北十八間(32m)の巨木なりしと云う。(加古郡誌より)